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  • 2018.07.10 Tuesday

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    踊れる身体

    • 2018.07.10 Tuesday
    • 11:09
    「踊れる身体」とは果たしてなんなのだろう、と考えている。
    ダンサーも振付家も批評家も、「あの人は非常に動けるダンサーだ」と言う。(私もその言葉をよく使う)
    では「動ける」というのはまず何なのか。
    運動的に身体がよく動く、筋力や運動神経の要る動きをよくできる、ということだろうか。
    それはつまり体操選手のような?
    じゃあその動ける身体があるというのは=踊れる身体、なのだろうか。

    体操選手のパフォーマンスを観るのは好きだ。鍛え抜かれた身体はそれだけでも素晴らしい。
    それで良いなら、ダンスはスポーツである。けれど、(競技ダンスはあるけれど)ダンスはスポーツではなく芸術にカテゴライズされている。
    ということは、動ける身体ではない身体が必要になってくる。
    それは何なのか。
    実感の持てる身体、ではないだろうか。
    音楽に対して、振付に対して、そして自分自身の身体に対して実感が持てること。
    そしてその実感を観客に伝える力のある身体。
    実感を持つためには、まず自分の身体を細部まで観察する必要がある。
    骨の動き、筋肉の動き、そしてそれが身体感覚とどう繋がっているのか。
    つぶさに観察し、「今自分が動くこと」を実感していく力。

    作家がイメージを読者に伝えるには、言葉のボキャブラリーを持ち、なおかつそれを扱える技量を持たねばならない。
    ダンサーも、自分の実感を伝えるためには身体のボキャブラリー(動きの種類、質)を持ち、それを扱わねばならない。
    それが技術ということだろう。
    動ける身体はそれだけのボキャブラリーと扱い方を得ている身体。
    でもそれだけでは技術を見せられているだけ。
    踊れる身体という中身が必要。

    踊れる身体があって、動ける身体がない場合。
    例えば言葉を扱うにも、詩や歌など様々な方法がある。絵本だっていい。
    動ける身体、とはベクトルの違う方法があるはずだ。
    (だからと言って身体を鍛錬しなくてもいいわけではない。知らない、ことと知っている、ことでは選択した結果の質が違う)
    私は運動音痴であり、筋力も弱い方だ。
    小さい頃から踊りをやっていたわけでもない。
    だから私は動ける身体のための鍛錬をしつつ、別の方法を探していかなければならない。
    気の遠くなる作業だが、踊ることを選択した以上、自分に問い続けなれけば、と思う。

    基本的なことだけれど、基本的なことだからこそ。
    立ち返ることが必要だ。

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